『メトロイド』40周年:一度も大ヒットせずにゲーム界を変えたシリーズ
デビューから40年。『メトロイド』は、ひとつのジャンルを定義し、ゲームデザインのあり方を塗り替えた先駆者としての遺産を祝う。
舞台は2D。広大な世界の中で、きみのキャラクターはちっぽけな存在だ。跳び移るための足場があり、こちらから探しに行くべき敵がいる。エリア同士はつながっていて、目的地が左なのか右なのか、上なのか下なのかもはっきりしない。迷子になった気分だ。あちこち歩き回るうちに、とても越えられそうにない障害物や、とうてい倒せそうにないボスにぶつかる。と、そこで妙に見える壁を撃ってみると、その向こうにはマップの外にある小部屋があって、あのボスに勝つためのパワーアップが置いてある。そしてついにボスを倒すと、またパワーアップ。これで、あの越えられなかった障害物を突破できる。
この説明に当てはまるゲームは何百本もある。2010年代後半のインディーシーンで大流行したこのジャンルは「メトロイドヴァニア」と呼ばれ、その起源は二つの象徴的なフランチャイズにさかのぼる。悪魔城ドラキュラ(プレイステーションの『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』が決定的だった)には申し訳ないが、今回は『メトロイド』40周年の話をしよう。
この任天堂のシリーズは、興味深い二律背反を抱えている。最も成功したメトロイドヴァニアは『Hollow Knight』で、2025年時点で1500万本以上を売り上げている。一方、シリーズ最大のヒット作である『メトロイド ドレッド』(2021)の販売本数は300万本。任天堂タイトルに限っても、売上トップ100(ボーダーは579万本)に『メトロイド』は一本も入っていない。
短期的なヒットばかりを追い求める業界にあって、『メトロイド』の重要性を疑う者はいない。
それでもなお、短期的なヒットばかりを追い求める業界にあって、『メトロイド』の重要性を疑う者はいない。40年にわたり、サムス・アランの物語はゲームデザインの卓越性の手本であり続けてきた(いくつかの失敗の手本でもあったが)。そして、大衆からの評価がなくとも、アイコンは時代を超えて生き残れるということの証明でもある。
ゲーム開発方針としての「成功のアンチテーゼ」
『メトロイド』の歴史は80年代の日本、京都にさかのぼる。当時任天堂で働いていた人物といえば宮本茂ばかりが語られるが、その師匠である横井軍平について語られることはほとんどない。1965年に入社した横井は、花札メーカーだった同社がおもちゃ、そしてビデオゲームの開発へと移行していくうえで決定的な役割を果たした。

彼は開発第一部(R&D1)のチームとともに、携帯ゲーム機の女王そのものであるゲームボーイや、有名な周辺機器である光線銃(NES Zapper)など、重要なハードを生み出した。彼らは『ダックハント』のようなゲームも開発していたが、『メトロイド』ほど重要なものはなかった。
1985年末、開発第一部はファミコンのディスクシステム用ソフトを救うために3か月を費やすことになった。それまでの7か月間担当していた2人のデザイナーの手元にあったのは、宇宙をテーマにしたステージがひとつと、8ビット機のメモリを食いすぎる、作り込まれた物理挙動のキャラクターアクションだけ。ディレクターの坂本賀勇とプロデューサーの横井は、既存の素材を時間とハードの制約に合わせて作り直した。
このプロジェクトは、当時の任天堂の二大ヒットを混ぜ合わせつつ、同時にそのアンチテーゼになることを目指していた。マリオのようなアクションゲームだが、敵を待ち受けるのではなくこちらから探しに行く。そして非線形の探索があるゼルダでありながら、ヒントをくれる人は誰もおらず、孤立無援で、頼れるのはマップを歩き回ろうとする自分の好奇心だけ。
迷路のようなレベルデザイン、隠し扉、そしてマップの新しいエリアを開くパワーアップや能力。これらが『メトロイド』を革新的な作品にした最初の要素だった。「メモリは増やせなかったし、エンジンに大きな変更を加える許可もなかった。でも構造については完全に自由だったんです。ある意味、高い壁に閉じ込められて、出口を見つけなきゃいけない状況だった。その感覚をゲームに込めました。壁を撃てば穴が開くかもしれない? そうすれば別の部屋や通路が見つかるかもしれない」と、坂本はIGNのインタビューで語っている。
ファミコン(NES)版、初代『メトロイド』のゲームプレイ。
宇宙というテーマを選んだことで、緊張感があって引き込まれる雰囲気づくりを何より重視したゲームが生まれた。『メトロイド』を遊んだ人なら誰でも『エイリアン』の影響を感じずにはいられない。坂本自身もRetro Gamerにこう語っている。「チーム全員がH・R・ギーガーのデザインに影響を受けていて、ああいうデザインが自分たちの作っているメトロイドの世界にぴったり合うことを、みんな意識していたと思います」。シリーズのもうひとつの象徴である山本健誌の音楽も、同じ効果を生んでいた。
リプリーの影響も無視できない。主人公は女性だったのだ。開発者たちは、ゲームを早くクリアしたプレイヤーへのサプライズのご褒美を考えた結果だと主張しているが、後年になってその引用を認めている。この決断がゲーム界に与えた影響は疑いようがない。サムスが女性だという認識がポップカルチャーに浸透するまでには何年もかかったものの、女性主人公のゲームが登場する後押しとしての役割は、90年代以降はっきりと感じられるようになった。

いちばん奇妙なのは、この賞金稼ぎの名前とあのペレとのつながりだ。「サムス・アラン」の名は、ブラジルの伝説的サッカー選手の本名「エドソン・アランテス・ド・ナシメント」の「エドソン」を「サムス」に置き換えた「サムス・アランテス・ド・ナシメント」から来ている。
1986年8月6日、『メトロイド』はファミコン用ソフトとして日本で発売された。説明書によれば、舞台は宇宙開発が進み、銀河連邦がそれを管理する20X5年の宇宙。プレイヤーは賞金稼ぎサムス・アランとなり、危険な実験生命体「メトロイド」を盗み出したスペースパイレーツを阻止するため、連邦に雇われる。いまや惑星ゼーベスに潜む彼らによる差し迫った脅威を断つべく、サムスは地下基地の深部を探索しなければならない。
そもそも最初から、『メトロイド』はマリオやゼルダのような売れ筋ではなかった。ファミコン/NESの売上ランキングでは270万本で18位。それでも、日本よりもとりわけアメリカのユーザーの心をつかんだ。存続はできるが必須ではないブランドという位置づけで、シリーズの次回作は1991年、横井のゲームボーイが強力なタイトルを必要としたときまで待たなければならなかった。
『メトロイドII RETURN OF SAMUS』は、まず1991年8月26日にアメリカで、その5か月後に日本で発売された。今回は坂本賀勇は開発に関わらず、小さなチームがアイデアを携帯ゲーム機の制約に合わせようと奮闘した作品だった。のちに象徴的となる新しいメカニクスやデザインを導入した一方、ゲームプレイはずっと戦闘寄りになった。マップのまとまりは弱く、パワーアップも次のエリアに進むための決め手にはあまりなっていない。

シリーズの中でも影の薄い一本でありながら、ある物語上の要素が『メトロイド』に未来をもたらした。『メトロイドII』でサムスは、危険なエイリアンの故郷である惑星SR388に送り込まれ、彼らを永遠に根絶やしにする銀河規模のジェノサイドを命じられる。任務を果たした賞金稼ぎは、ひとつの卵を見つける。そこから生まれた最後のメトロイドは、サムスを母親だと思い込む。憐れみから、サムスはその命を見逃し、連れて帰る。
そもそも最初から、『メトロイド』はマリオやゼルダのような売れ筋ではなかった。ファミコン/NESの売上ランキングでは270万本で18位だ。
この物語の一場面(ちなみにテキストは一切なく、160×144ピクセルの白黒画面での映像と音だけで伝えている)は坂本に強い印象を与えた。アメリカへの出張中、ある協力者が『メトロイド』が同国でどれほど評価されているかをどうしても見せたいと言い張り、そのうえで、出たばかりのスーパーファミコン(SNES)で新作を作るよう焚きつけた。乗り気になり、『メトロイドII』の結末の力強さにも触発された坂本賀勇は、『メトロイド3』、つまり『スーパーメトロイド』の構想を練り始めた。
このゲームの開発は、そのカオスぶりで有名だ。それまでに存在したものをはるかに上回る品質と規模を求められるプレッシャーに満ちた3年間だった。約15人のチームは開発しながら16ビットのプログラミングを学ばねばならず、全員が何でもやった(そのせいでパーツ同士の互換性の問題も起きた)。昼も夜も任天堂に詰め、小部屋で仮眠をとっていたが、その部屋はのちにほかの社員から臭いと苦情が出るほどだった。前作までの売上がそこそこだったことから企画自体を疑問視していた会社は、何度も予算を削り、ゲームは開発中止の危機にさらされた。
1994年に発売された『スーパーメトロイド』は、初代のリメイクを隠した作品であると同時に、オリジナルの革新性を磨き上げ、深めた一歩前進でもあった。アートと音楽で独特の雰囲気へとプレイヤーを連れ去りつつ、挑戦的で中毒性のあるゲームデザインを提示する体験だ。かつてない巨大さを誇る象徴的なマップ、作り込まれた探索と戦闘のメカニクス、ますます複雑なエリアを次々と開いていく報酬システム、そしてゲームプレイそのものを通じて感情と物語を伝える手法は、ゲーム界に永遠の影響を与えた。
1994年のアメリカにおけるSNES版『スーパーメトロイド』の広告。
さらに上を目指し、ゲームを可能な限り最高の形で完成させようとしたチームの執念が、『メトロイド』を金字塔にした。「史上最高のゲーム」ランキングで、本作がトップ10に入っていないものを見つけるほうが難しい。開発中は長らくやきもきしていた横井も、ゲームのあるべき姿の例として本作を常に引き合いに出していた。だが、それにもかかわらず、これは『メトロイド』の創造のクライマックスであって、成功の時代の幕開けではなかった。
『メトロイド』、暗黒時代へ
『スーパーメトロイド』は、ある意味で2Dゲームの第一期の締めくくりだった。2年後の1996年、任天堂はNINTENDO64と『スーパーマリオ64』を世に出し、3Dゲームの未来への道筋を描いた。この転換と並行して、横井はバーチャルボーイの大失敗を受けて任天堂を去り、その1年後に交通事故で亡くなった。開発第一部は二つのチームに分かれた。のちのゲームボーイカラーやゲームボーイアドバンスを開発するチームと、それらのハード向けにゲームを作るチームだ。
坂本は後者に属し、NINTENDO64で『メトロイド』を作ることも考えたものの、サムスが3Dに移行する姿はまったく想像できなかったと告白している。任天堂は他のスタジオにも話を持ちかけたが、当初は『スーパーメトロイド』と比べられる責任を負おうとするところはどこもなかった。同じ思いから坂本も2Dの新作から遠ざかっていたが、携帯ゲーム機に技術的な飛躍をもたらしたゲームボーイアドバンスの試作機の登場で状況が変わる。

サムスをアクションヒロインにしたいという願望、『スーパーメトロイド』のチームの大半がもう一緒に働いていないという制約、そして『大乱闘スマッシュブラザーズ』でシリーズを知った新しい層からの刺激。それらを受けて、ディレクターはまったく異なるアプローチを打ち出した。
比較を避けるため、坂本はあえて方程式を崩すことにした。戦闘に焦点を当て、非線形の探索はゲームの限られた部分に押し込め、テキストによる語りを深めて主人公の心理に踏み込む。それまでの3作では、サムスは少ない装備で始まり、ステージを進むにつれて新しい装備を手に入れていった。『メトロイドフュージョン』では、賞金稼ぎは持っているものを失い、その進行は周囲の環境と上官という鎖そのものに縛られる。

『メトロイドフュージョン』が発売されたのは2002年11月。シリーズ初の3D作品『メトロイドプライム』と同じ日だった。アメリカのレトロスタジオが開発し(宮本茂が監修、坂本賀勇はほとんど関与していない)、この「スピンオフ」はニンテンドーゲームキューブの看板タイトルになった。オリジナルの方程式を3D空間に移し替え、見事なFPSシステムを作り上げたことで、業界にも独自のインパクトを与えた。こうして2Dの方は新しい兄弟の陰に隠れてしまったが、それでも『スーパーメトロイド』より10万本多く売れている。
多くのファン(そして後にメトロイドヴァニアを作ることになる開発者の一部)が『メトロイドフュージョン』の方向性を拒んだにもかかわらず、この作品は年月とともに再評価されてきた。ハードウェアのおかげで、驚くほど古びないゲームになっている(『スーパー』以上と言ってもいい)。GBAの可能性は坂本も見逃さず、それまでに学んだことをすべて注ぎ込んで初代『メトロイド』をリメイクした。2004年に発売された『メトロイド ゼロミッション』は、リメイクのあるべき姿そのものだ。オリジナルに取って代わるだけでなく、新たなエリアと新しいメカニクスで原作を拡張している。
2004年に発売された『メトロイド ゼロミッション』は、リメイクのあるべき姿そのものだ。オリジナルに取って代わるだけでなく、新たなエリアと新しいメカニクスで原作を拡張している。
これがメトロイドにとってのもうひとつの時代の終わりだった。『ゼロミッション』の発売後、任天堂は大規模な組織再編を行う。『メトロイドプライム』は続編を2本出したが(どちらも初代には及ばない)、2Dの新作はその後13年間発売されることがなかった。

2005年から2009年にかけて自社での試みが2度頓挫したのち、坂本は『NINJA GAIDEN』の開発元であるTeam NINJAと組み、Wii向けに自分なりの3Dメトロイドを作ることにした。狙いは『フュージョン』の物語的なコンセプト、とりわけ彼がサムスにあるべきだと考えていた心理や人格を掘り下げることだった。
2010年に発売された『メトロイド Other M』は、多くの人からシリーズ最低の作品と見なされている。サムスの描かれ方は過去作で確立されたキャラクター像とかけ離れていて、しかもそれが長ったらしくメロドラマ的なカットシーンで延々と語られる。ゲームプレイはなかなかのものだが、物語のマイナスを帳消しにするほどではない。おまけに売上も予想を大きく下回り、任天堂は失敗の原因を探るためにアンケートを実施するほどだった。
こうして暗黒時代に突入する。その後6年間、メトロイドの新作は1本も出なかった(『メトロイドプライム』すら)。2016年にいたっては、ファンはむしろ何も出ないほうがマシだったと思ったはずだ。ニンテンドー3DS向けのマルチプレイ・スピンオフ『メトロイドプライム フェデレーションフォース』は、いまだに多くの人が記憶から消そうと努めている作品だ。その年唯一の小さな光はファンメイドのゲーム、『Another Metroid 2 Remake』(AM2R)だった。『メトロイドII RETURN OF SAMUS』をゲームボーイアドバンス風に再構築したこの作品は、アルゼンチン人のミルトン・グアスティ、またの名をDoctorM64が開発したものだが、メトロイド30周年の記念日に公開されたその翌日、任天堂によってネットから削除されてしまった。
メトロイドヴァニアの時代、そして王の帰還……なのか?
2004年から2017年まで、2Dのメトロイドは1本も出なかった。その10年あまりのあいだ、すでにGBAで作品を出していた悪魔城ドラキュラシリーズはニンテンドーDSでも評判のいいタイトルを出し続けたが、『月下の夜想曲』ほどの人気や影響力の頂点には届かなかった。それでも、この2つのシリーズの存在感は新たな芽を吹き始めていた。
ジェレミー・パリッシュはゲームジャーナリスト兼ゲーム史家で、「メトロイドヴァニア」という言葉を生み出した人物だとよく言われる。本人は飽きもせずこのマンデラ効果を否定し続けているのだが(そのくせ今ではタイトルにこの言葉を冠した本まで出している)。2000年代初頭まで、メトロイドシリーズは「探索型アクション」、あるいは単に「探索アクション」としか分類されていなかった。独自の呼び名が生まれやすくなったのは、ほかでもない同ジャンルの別のゲームが登場したからだ。
当時、悪魔城ドラキュラシリーズがプレステ版で提示したものをさらに深化させたことに加え、この2つのシリーズに影響を受けた最初の作品群、とりわけ2004年のインディーゲーム『洞窟物語』や『Eternal Daughter』が、ゲーマー掲示板で「メトロイドヴァニア」という言葉を使った議論に火をつけた。そうした掲示板のひとつを運営していたスコット・シャーキーは、のちにサイト1UPでパリッシュとともに記事を書くことになるのだが、パリッシュ自身もこの言葉を同僚から拝借したと認めている。その2年後、彼は「Metroidvania Chronicles」という連載を始め、そこでこの用語の最初の定義を打ち立てることになる。
3Dゲームの全盛によって、メトロイドヴァニアの普及はその後も数年間阻まれた。2000年代の終わり頃、『シャドーコンプレックス』(2009年)は、作り手自らがメトロイドヴァニアだと位置づけた最初期の作品のひとつであり、このジャンルを家庭用ゲーム機に呼び戻した一本でもあった。同時に、このジャンルがインディースタジオにうってつけだという考えも広めた。予算に見合った規模の中で、複雑な物語やゲームプレイを作り込めるからだ。それがはっきりしたのが2014年の『Guacamelee!』、そしてなんといっても2015年の『オリとくらやみの森』の発売だった。
この時代には、ゲーム業界におけるメトロイドの影響のうち、あまり語られることのないもうひとつの側面がある。現在のゲーム界でもっとも人気があり影響力の大きいジャンルのひとつであるソウルライクは、メトロイドヴァニアに途方もなく多くを負っている。それは非線形で迷路のようなレベルデザインといった個別の要素にとどまらない。『デモンズソウル』や『ダークソウル』は、難しさを前進の手段とし、物語要素を削ぎ落とすことをストーリーテリングの手法とする、メトロイド流の教えを受け継いでいるのだ。
ソウルライクに宿ったこのメトロイドヴァニア的な起源は、やがて両ジャンルの相乗効果へとつながっていった。『メトロイドプライム』の経験が、『バットマン アーカム・アサイラム』(2009年)から『CONTROL』(2019年)まで、ほかのタイトルにこのスタイルを3D空間に持ち込む挑戦をさせた一方で、Star Wars ジェダイ:フォールン・オーダー』(2019年)のように、メトロイドヴァニアとソウルライクを混ぜ合わせて見事な成果を上げた作品も現れた。
だが、このジャンル同士の共生を『Hollow Knight』ほど体現しているゲームはほかにない。オーストラリアのTeam Cherryが生み出した錬金術は、業界でもめったにお目にかかれない代物だ。2017年に発売された『Hollow Knight』は、この手のゲームへの関心の再燃と、任天堂の新ハード、ニンテンドースイッチの人気上昇をうまく追い風にした。このゲームはメトロイドヴァニアの要素の集大成であるだけでなく、デザインの卓越性という任天堂イズムまで体現している。

『Hollow Knight』の成功はメトロイドヴァニアの黄金時代の引き金となった。2018年の『Dead Cells』、2019年の『Blasphemous』と『Bloodstained: Ritual of the Night』(『月下の夜想曲』の精神的後継作)、そして2020年の続編『オリとウィスプの意志』(AM2Rで得た知名度のおかげで、ミルトン・グアスティも開発に参加している)といった作品が続いた。ジャンルの土台が固まったことで、2024年には一人の開発者による『Animal Well』から、ユービーアイソフトの巨大なPrince of Persia:失われた王冠』まで、まるでタイプの異なる作品が並ぶことになった。
では、この地図の中でメトロイドはどこにいるのか? なぜいまのムーブメントの顔はサムスではなく『Hollow Knight』なのか?
面白いことに、メトロイドの復活が始まったのもまさにその2017年だった。任天堂はたった1日のうちに、『メトロイドプライム4』が開発中であること(実物を拝めるのはそれから9年後だ)と、3か月後に『メトロイドII RETURN OF SAMUS』のニンテンドー3DS向け公式リメイク『メトロイド サムスリターンズ』を発売することを発表した。開発は史上初めて外部スタジオ、MercurySteamが担当することになった。このスペインのスタジオが注目を集めたのは、奇しくも『キャッスルヴァニア ロード オブ シャドウ』だった。これ以上メトロイドヴァニアな連中がいるだろうか? スタジオは任天堂に『メトロイドフュージョン』のリメイクを提案したが、坂本はこの機会に、自分が唯一関わっていなかった作品をアップデートするほうを選んだ。
この地図の中でメトロイドはどこにいるのか? なぜいまのムーブメントの顔はサムスではなく『Hollow Knight』なのか?
このリメイクも売上的にはヒットしなかったが(3DSの黄昏時に出したのも何の助けにもならなかった)、坂本の夢である『メトロイド5』の開発を実現させる後押しにはなった。すでに『ゼロミッション』の時点で、坂本はサムスが敵から身を隠し、逃げ回らなければならない状況でサスペンスを生み出すというアイデアをいじり始めていた。ステルスゲームのメトロイドへの翻案である。『Other M』以前の時代には、ゲームボーイアドバンス、のちにニンテンドーDS向けに「Metroid Dread」なるゲームが出るという噂が、雑誌や掲示板で野火のように広まっていた。
ようやく2021年、リメイクではない最後の2Dメトロイドから19年が経って、任天堂は『メトロイド ドレッド』を正式発表した。ひとつのゲームが20年近く経ってから日の目を見るチャンスを得られたこと自体、任天堂がこのブランドにどれだけ本気かを示している。そしてその賭けは当たった。メトロイドはおそらくシリーズ最高の一作、そしてニンテンドースイッチ屈指の名作をひっさげて帰ってきた。過去作すべての良いところを取り込みつつ独自のアイデアも持ち込み、これまでの全作品の物語に決着をつけたタイトルだ。シリーズでもっとも売れた作品になったのも当然である。
その存在が知られてから15年後、『メトロイド ドレッド』(2021年)発表への反応。
とはいえ、メトロイドは売上に価値があるシリーズではない。タイミングがすべてであり、このシリーズは何度もそれを逃してきた。2D最高傑作を作ったのは2Dが廃れかけていた頃だったし、自分のシリーズの作品に埋もれ、技術の流れからも取り残され、ブームの再来にも遅れて戻ってきた。それでも、作品を出すたびに前作より人気は高まっている。メトロイドは毎年ファンを増やし、任天堂も自社屈指の有名ブランドの価値を認めている。
メトロイドは売上に価値があるシリーズではない。タイミングがすべてであり、このシリーズは何度もそれを逃してきた。
メトロイドの本当の価値は、プレイヤーと未来の開発者たちに与えてきたものにある。その歴史を通じて、メトロイドはつねにデザインの卓越性を推し進める存在だった。作り手のどんなにぶっ飛んだアイデアの前でも、業界でもっとも混乱した開発の渦中にあっても。『メトロイドフュージョン』の戦闘に文句をつけられる人がいるだろうか? あるいは『メトロイドプライム4』の技術的達成に?
サムス・アランとその宿敵たちの足跡はビデオゲームに深く刻まれている。この宇宙のどこを探しても、いつの時代になっても、メトロイドがなくてもビデオゲームはいまの姿になっていた、などと言える者は現れないだろう。
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