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サイモン・レイノルズとマーク・フィッシャー:音楽から資本主義リアリズムを読み解く

ポップ、エレクトロニカ、ポストパンクを手がかりに、レイノルズとフィッシャーはいかにして現在を理解するための鍵を生み出したのか。

サイモン・レイノルズとマーク・フィッシャー:音楽から資本主義リアリズムを読み解く

サイモン・レイノルズとマーク・フィッシャーは、アルゼンチンで最も引用される思想家の二人となり、彼らのポップカルチャーの見方はひと世代まるごとの音楽批評家に刻印を残した。彼らの知的系譜とはどんなものか? どんな概念を用いているのか? 二人はどう結びつき、どう対話しているのか?

まず押さえておくべきは、レイノルズもフィッシャーも木の股から生まれたわけではない、ということだ。この二人の思想家・批評家・エッセイストは、大衆文化とマスカルチャーに関心を寄せてきた英国の骨太な伝統から出てきている。戯画化を承知で言えば、ドイツの文化分析の伝統が20世紀以降、マスカルチャーのうちに増大する脅威を見てとったのに対し――その脅威とは、製品の画一性と表現の一方向性に現れ、それが主体の画一性を生み出し、同一性へとフォーマットされた主体はファシズム運動にとって都合のいい素材と化す、というものだ――英国人たちは戦後以降、民衆的な表現の創造的な側面に関心を抱き、労働者階級と密接に結びついた大衆文化の再構築に心を砕いたのである。

レイノルズもフィッシャーも木の股から生まれたわけではない。二人とも、大衆文化とマスカルチャーに関心を寄せてきた英国の骨太な伝統から出てきている。

その道のりにおいて、どうしても挙げておきたい名前が二つある。レイモンド・ウィリアムズとスチュアート・ホールだ。レイモンド・ウィリアムズは「英国マルクス主義歴史家」として知られるグループの一員で、そこにはエリック・ホブズボームやE・P・トムスンといった錚々たる面々もいた。この歴史家たちは、歴史と文化のマルクス主義的解釈を掲げつつも、ソ連が公布した硬直した二段階の構造主義よりも複雑なものを目指した。彼らは英国共産党に所属していたが、その大半は1956年のソ連によるハンガリー侵攻ののちに党を去った。

そのグループのなかで、ウィリアムズは主に文学に力を注いだ。主著『文化と社会』は、英国労働者階級の境遇を表現するプロレタリア的伝統を求めて英文学の歴史を再構成する試みだ。この仕事でウィリアムズはさらに、広い文化概念を推し進めた。「偉大な作品」だけでなく「人間がつくり出すものすべて」に根ざし、民間伝承や口承の伝統、労働者階級の結社文化までを含む文化概念である。文化と政治の関係をめぐるこの複雑な視点は、『マルクス主義と文学』にも表れている。いまなお基本文献であり続ける文学研究の理論化であり、文化における支配的なもの、残存的なもの、新興的なものという、今ではほとんど常識と化した概念を私たちにもたらした本だ。ウィリアムズが重要なのは、テレビを真剣に扱った最初期の理論家の一人だったからでもある。この点で最も重要な概念が「フロー」、すなわちテレビとは多様なコンテンツが途切れなく続く流れであり、視聴者とテレビの関係はこの供給と多様性、そして無限でありうるという潜在性によって規定されている、という考え方だ。お気づきのとおり、アルゴリズムとテクノクラート寡頭制が推し進める無限スクロールにそっくりである。

スチュアート・ホール

一方スチュアート・ホールは、バーミンガム学派カルチュラル・スタディーズの創始者だ。ジャマイカ生まれの黒人だったホールは、文化とアイデンティティの解釈における可塑性を擁護した。彼にとって私たちは誰もが文化の消費者であると同時に生産者であり、文化の伝播、とりわけ文化的意味に「上から下へ」のモデルなど存在しない。それどころか彼は「エンコーディング/デコーディング」モデルを打ち立てた。文化的メッセージのあらゆるエンコーディングは、メッセージをエンコードされたままのパラメータで受け入れる支配的/ヘゲモニー的な立場からも、一部の要素を受け入れ他を拒む交渉的な立場からも、そしてメッセージを逆向きにデコードしうる対抗的な立場からも解釈されうる、というものだ。この最後の立場は、マスカルチャーをLGTBQ+の視点で読む際によく見られる「ひねった読み」の実践を後押ししてきた。

ホールはグラムシの信奉者で、ヘゲモニーの構築とその意味に深い関心を抱いていたが、グラムシと同様、それを絶対的なものとしては捉えなかった。だからこそ彼は、政治・経済・文化が入り混じる「情勢(コンジャンクチャー)」という概念を練り上げた。それは偶発的な「闘争の空間」であり、そこでは現状維持のために莫大なエネルギーが費やされる一方、組み合わせさえ揃えばそれを突き崩しかねない諸力が渦巻いている、というものだ。

最後に、ホールの仕事の多くはアイデンティティ、とりわけアメリカ、アフリカ、ヨーロッパが同時に存在することで刻印されたカリブのディアスポラ的・人種的アイデンティティに関わっている。これらの文章で彼はしばしばオート・エスノグラフィーと自己理論化を行い、そこから二重のアイデンティティという概念にたどり着いた。「本当の自分」とみなされる集団的なアイデンティティの核と結びついた恒常的なものであると同時に、歴史の影響によって絶えず変化する流動的なものでもある、というアイデンティティだ。彼のアイデンティティ概念は、本質主義的な考えから、情勢によって規定されるポジショニングという考えへと変化していった。

分析と政治的行動を織り交ぜ、文化を政治や経済と対等に扱ったこの二人の理論家は、レイノルズとフィッシャーの双方に絶大な影響を与えることになる。レイノルズは1963年、フィッシャーは1968年生まれで、ウィリアムズとホール(1921年と1932年生まれ)が理論的な仕事を展開していた時代に育った。

レイノルズがキャリアをスタートさせた雑誌『メロディ・メイカー』

まずはレイノルズから始めるべきだろう。公の場に最初に躍り出たのは彼であり、その舞台は、かつて英国で欠かせない存在だったのに今や絶滅危惧種となった職業、音楽批評家だった。レイノルズは幸運にも、70年代末のパンクにハマるのにちょうどいい年齢だった。この決定的な瞬間に、彼はのちに著作で何度も立ち返ることになる。80年代には、『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』のライバルで英国屈指の権威ある音楽誌『メロディ・メイカー』でライターとして働き始める。初期のコラムで彼はヒップホップを擁護し、ポップカルチャーで何ができるかについて概して前衛的な考えを打ち出していた。この考え方が、彼の仕事全体を貫く骨格となる。

90年代にはレイヴ・カルチャーと新しいエレクトロニック・シーンにハマり、のちに彼の最初の歴史書兼百科事典となるコラムを書き始めた。『エナジー・フラッシュ:レイヴ・ミュージックとダンス・カルチャーの旅』である。そこで彼は初期の概念のひとつ、「ハードコア・コンティニュアム」を展開する。英国と米国のさまざまなダンス・ミュージックのシーンのあいだには連続性があり、新しいサウンドが現れるたびに、踊れるものの境界をより実験的で前衛的な場所へと押し広げていった、という考えだ。[1]この本はまた、彼の長編の作風を確立した。レイノルズは雑食的にシーンに潜り込み、できるかぎり大量のサウンドとデータを消費したうえで、それを時代や地域シーンごとに仕分けていくリサーチャーだ。だから彼の本は歴史書であると同時にマニュアルでもあり、つながりを見出してアーティストをより広い文脈に位置づける深い能力と、驚異的なネームドロッピングぶりとを兼ね備えている。読み終えると、聴いたこともないのにまんまと聴きたくさせられたアーティストの膨大なリストを抱えることになるのだ。

レイノルズは雑食的にシーンに潜り込み、できるかぎり大量のサウンドとデータを消費するリサーチャーだ。

彼のキャリアにおける次の道標は、私たちの多くが彼を読み始めるきっかけとなった本、『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984』だ。2005年に初版が出たこの本は、英米のポストパンクの時代を一望する旅であり、ひっくり返さない石も、訪れないシーンもひとつとして残さない。レイノルズの主張はシンプルだ。新しい世界の約束、音楽創造のゼロ年となり、過去を一掃して、より多様で実験的な新しい創造性への扉を開くというパンクの約束は、あの数年間の狂騒のなかでは果たされず、その直後にやってきたものによってこそ果たされた、というのである。だからこそこの本は、主要かつ模範的なケーススタディとしてPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)を据えている。ジョン・ライドンがジャー・ウォブル、キース・レヴィンとともに結成したバンドで、ライドンがセックス・ピストルズで解き放った皮肉まじりの怒りに、亡霊のようなダブ、ざらついたノイズ、トライバルなパーカッションを持ち込んだ。

パブリック・イメージ・リミテッド初期のシングルのジャケット。英国のタブロイド紙や『メロディ・メイカー』風のデザイン。

ここでフィッシャーを紹介するのがよさそうだ。彼が知られるようになったのは、2003年に彼の代表作であるブログ『k-punk』を始めてからだ。といっても、駆け出しだったわけではない。90年代には博士論文を書き上げ、サイバネティック・カルチャー・リサーチ・ユニット(CCRU)の創設メンバーでもあった。今では当たり前に流通している加速主義や暗黒啓蒙、資本主義のヌミノースといった思想の多くはここから生まれ、とりわけ新右翼の新たなダークスター、ニック・ランドによって表明されている。この時期フィッシャーは、ダブステップの先駆者の一人であるKode9とも親交を結んだ。ダブステップは彼にとって特別な重みと愛着をもつシーンとなる。

この時点でフィッシャーを紹介しておくことが重要なのは、レイノルズが音楽本で表明している考えの多く――常に新しい音楽への渇望、未来への愛着、ハイとローの壁を崩し、エリート文化と同じくらい洗練されたポップカルチャーへの愛情――が、フィッシャーの鍵概念「ポピュラー・モダニズム」に集約されるからでもある。フィッシャーによれば、戦後英国の政治経済的条件と福祉国家の勝利によって、労働者階級は文化創造に関わることができるようになった。しかも、民衆的な出自と、モダニズム――映画、演劇、文学、現代音楽における前衛的潮流――への接触とを同時に兼ね備えた立場からである。19世紀にまでさかのぼる歴史をもちながら、文化を刺激する中心的役割を担ったのは戦後になってからという英国の分散型アートスクールの網の目と、無償の大学教育のおかげで、それまでプロレタリア化以外の選択肢をもたなかった幅広い層の人々が前衛文化に触れ、それを自らの生の経験と混ぜ合わせることができたのだ。そこから、労働者階級出身の小説家・劇作家のグループである「怒れる若者たち」や、英国流の無数のバリエーションをもつロックンロール、そしてアメコミ界へのブリティッシュ・インヴェイジョンを果たしたライターたちといった動きが生まれた。形式の遊びへの嗜好とプロレタリアの鋭さを兼ね備え、英国文化の最良の部分の多くを生み落としたアーティストたちだ。同時にこのポピュラー・モダニズムは、たとえば『ドクター・フー』のような、BBCによる映像・音響の実験にも表れていた。

私たちは、かつてあったものと、ついに存在しなかったものの幽霊とともに生きている。

フィッシャーはレイノルズと同時代人だが、公の場への登場が後だったぶん、第二幕として読むことができる。これは彼の人生につきまとった大きな亡霊とも関係している。うつ病だ。彼自身が『わが人生の幽霊たち』に書いたように、そのせいで彼はずいぶん長いあいだ自分を役立たずだと感じていた。かくしてレイノルズは、英国で趣味を形成しうる制度としての音楽・文化ジャーナリズム最後のあがきの代表として残り、フィッシャーはブログ時代の化身として現れる。それは趣味が細分化し、いかなるモノカルチャーも不可能になった時代だが、同時に、周縁を掘り返すことに関心をもつ、きわめて個人的で因習打破的な声の出現を可能にした時代でもある。『k-punk』をいち早く読んでフィッシャーを知った私たちは、ザ・フォールのパルプ・モダニズム的解釈や、マルクス主義とフランス・ポスト構造主義の影響を受けた『氷の微笑』論に度肝を抜かれたものだ。

ここから、レイノルズとフィッシャーの対話について語ることができる。2011年、レイノルズは自身の著作のなかでも特に人気が高く、理論的な比重がもっとも大きく、そしておそらくはもっとも議論を呼ぶ一冊を刊行した。『レトロマニア』である。この本の診断はシンプルだ。ポップカルチャーは自らの過去に依存するようになり、新しいものを生み出すのをやめ、自分自身の過去の焼き直しやリミックスやリバイバルを量産するようになった、というのだ。一方でこの本は、あまりに身に覚えがあり、あまりに遍在する現象の脈をずばりと押さえたため、その考えの多くはいまや常識と化し、「20年ギャップ」(あらゆるカルチャーやスタイルは登場から20年後に再び流行する)といった概念を広めることになった。他方で、その診断には苦々しさとノスタルジーがつきまとい、読んでいると気が滅入るし、もやもやするし、反論したくもなってくる。

これは、フィッシャーもほぼ同時期に「ポップは生ける屍なのか?」と題したブログ記事[2]でたどり着いた診断でもある。彼はそこで、文化においては何ひとつ完全には死なない、と正しく指摘していた。あらゆる文化シーン、あらゆる生き生きとした豊かな表現は、いずれ「行き詰まり、更新されなくなり、骨化して伝統となる。消え去りはしない。生ける屍として残り続けるのだ」。[3]彼にとって2000年代のポップカルチャーは「無化する力、すなわちすでに存在するものの否定を通じて新たな潜在性を生み出す力」を失っていた。[4]ここでのフィッシャーはアドルノ派として書いている。もっとも重要なのは否定弁証法、つまり普遍と特殊のあいだの解消しえない葛藤の瞬間であり、芸術作品こそがそのためのこのうえなく肥沃な土壌だ、という立場だ。フィッシャーはポプティミズムに潜む純粋な快楽主義への誘いを憎み、そこに文化的新自由主義のトロイの木馬を見ていた。彼にとって、ルサンチマンとネガティヴィティこそが文化の発展に欠かせない感情だったのだ。

フィッシャーはポプティミズムに潜む純粋な快楽主義への誘いを憎み、そこに文化的新自由主義のトロイの木馬を見ていた。

というのも、ここにはふたりに共通する中心的な領域、完全には消化も自覚もされていない奇妙なノスタルジーがあるからだ。ふたりにとって文化の決定的な時代、つまり「未来としての文化」が展開したのは70年代から90年代にかけてであり、それは特定のシーンや表現と結びついている。レイノルズにとってはポストパンクとエレクトロニック・ミュージック。フィッシャーにとっては70年代のプロテスト文化、大衆的モダニズム、そしてやはりポストパンク。政治と経済とポップカルチャーがカチッと噛み合い、新たな可能世界への扉がわずかに開いた時代である。

イギリスの代表的タブロイド紙のひとつThe Sunの一面。イギリス・バークシャー州のホワイト・ウォルサム飛行場で開かれたアシッド・ハウスの秘密パーティーを報じている。1989年。

さらにフィッシャーにとって、ゾンビ状態にあるのはポップカルチャーだけではない。イギリスではサッチャー以後、アルゼンチンでは軍政以後、そして世界的にはソ連圏崩壊以後に圧倒的な勝利を収めた新自由主義そのものもまたゾンビなのだ。この診断と2008年の金融危機を受けて、フィッシャーは彼の最大のヒット作であり、現代を診断する書である『資本主義リアリズム』を書き、2009年に刊行する。この本が論じるのは、資本主義は自らの外部など存在しない、オルタナティヴなどない、という感覚を植えつけ、システムに対するいかなる闘争もたちまちシステムに吸収されてしまう、ということだ。資本主義こそが唯一可能な現実なのである。この本の診断は的確で、いくつもの層に分かれている。未来とユートピアが打ち消されたという感覚、抗議運動の動員解除、メンタルヘルスの危機、労働が果てしない官僚的手続きに置き換えられること、怒りをぶつけるべき資本主義の司令部が存在しないこと。フレドリック・ジェイムソンやリュック・ボルタンスキーといった論者と同様に、フィッシャーは新自由主義的資本主義の最大のトリックを、68年世代が息苦しいと感じていた戦後の雇用の安定を、ますます劣化していく自由の約束と引き換えにしたことに見出す。理論上はなりたいものに何にでもなれる。だが実際には選択肢はどんどん狭まり、進むのは不安定化だけ、というわけだ。[5]

同時に、フィッシャーとレイノルズは、ポスト構造主義の思想家ジャック・デリダから借りたある概念を用いる点でも合流する。憑在論(hauntology)である。「haunt」(取り憑く、怯えさせる)と存在論(ontology、存在と現実の本質を研究する哲学の一分野)を掛け合わせたこの概念は、デリダの1993年の著作『マルクスの亡霊たち』で初めて登場する。そこでこのフランス人哲学者は、マルクス主義が常に近代の否認された大文字の他者として現れるさまを概念化するためにこれを用いている。死してなお、現実に存在した社会主義が永遠に崩壊してしまったあとでさえ、その約束によって、決して実現されなかった潜在性によって、マルクス主義がいかに西洋文明に取り憑き続けるかを示すために。

「ひとつの妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪が」。ロシア語およびアゼルバイジャン語話者に向けたソ連のポスター、1920年。

表象不可能なものを描き出す幻想文学やホラーに深い関心を寄せていたフィッシャーは、この概念を用いて、資本主義リアリズムの勝利がいかに未来の打ち消しをもたらし、20世紀のアヴァンギャルドやカウンターカルチャーが約束した「失われた未来」――自然回帰、共同体主義、大衆的モダニズム、自由・平等・博愛――の亡霊めいた出現を招いているかを描き出す。彼はこう書いている。「存在するものはすべて、それに先立ち、それを取り囲み、それに理解可能性を与える一連の不在を基盤としてのみ可能になる」。[6]

一方レイノルズは、とりわけ音楽の質感に関心を寄せ、この概念を録音にまつわるある種の物質性と結びつけて用いる。過去の音楽が現在の音楽に残す痕跡のことだ。その亡霊は、レコード針の音色や、現代の楽曲に現れるフィールド・レコーディングやライブラリー・ミュージック、サンプリング、重ね刷りされた音の幽霊といったものに関わっている。『レトロマニア』で彼はこう書く。「録音には、そもそもの始まりから、亡霊的な底流がつきまとってきた。音響技術研究者ジョナサン・スターンが指摘するように、録音は初めて人間の声を生きた身体から切り離した(……)蓄音機は一種の不死の見込みをはらんでいた。わたしたちの声がいつの日か『まだ生まれていない者たち』に聴かれるかもしれない、という可能性を」。[7]だが同時にレイノルズは、一見すると音楽においてもっとも現代的な操作のひとつであるサンプリングにも憑在論を見出す。ふたたび『レトロマニア』から。「それ自体が遠い時代へのポータルであるループされた瞬間から成るサンプル・コラージュは、一度も起きたことのない音楽的出来事を生み出す。タイムトラベルと降霊会の奇妙なミックスだ」。[8]

おもしろいのは、レイノルズがマッシュアップや無差別なサンプリングを、予想どおりのものをカロリーゼロで組み替えただけだとして退けながらも、The KLFのような知的ないたずら者や、Ghost Boxレーベルのミュージシャンたちのような亡霊的なディガーの作品に他の音楽の痕跡が現れることには、音楽文化における同じことの繰り返しから抜け出す道を見出している点だ……たとえ過去の断片を使っているとしても。フィッシャーとは対照的に、音楽的憑在論を扱った章は『レトロマニア』のなかでもっとも楽観的な部類に入る。

さて、フィッシャーに話を戻すと、生前に刊行された彼の最後の本は『わが人生の幽霊たち』で、そこで彼は憑在論的なものについての思考を存分に展開している。だが同時にその本では、『資本主義リアリズム』で下した診断の裏面をなすいくつかの問いも提起しはじめていた。新自由主義が私たちを追い込んだこの袋小路からどう抜け出すのか? どうすれば自分たちの人生を、自分たちの時間を取り戻せるのか?『わが人生の幽霊たち』で彼は、マルクス主義的情動としてのルサンチマンを擁護する。フィッシャーの立場は、現代社会の無快感症や抑うつは、解放へ向かういかなる身振りも最初から封じるために入念に製造された情動だというものだ。だが「支配階級を恨むことと妬むことの違いは、嫉妬が支配階級になりたいという欲望を含意するのに対し、ルサンチマンは彼らが資源や特権を所有していることへの怒りを示唆する点にある。(……)特権や不正へのルサンチマンは、多くの場合、内面化され当然視された劣等感と向き合うための第一歩なのだ」。[9]

また2013年には、彼のもっとも引用され、もっとも先見的なテクストのひとつ「Exiting The Vampire’s Castle」を発表している。そこで彼はすでに左派の「キャンセル・カルチャー」に噛みついていて、それを駆動しているのは「破門し断罪したいという司祭の欲望、誤りを真っ先に指摘したいという衒学的な学者の欲望、イケてる連中の仲間入りをしたいというヒップスターの欲望」だと述べていた。[10]彼が呼びかけたのは、アイデンティティの差異よりも階級的連帯を築くことだった。愛されると同時に憎まれたこのテクストは、左派の一部に見られる分断と排除の力学の問題性を突く診断として、いまも燃え続けている。

フィッシャーが愛した怪談作家のひとり、M・R・ジェイムズの短編「笛吹かば現れん」に付されたジェイムズ・マクブライドの挿絵。

2017年1月、フィッシャーはうつ病に押しつぶされ、自ら命を絶った。そのとき彼は『アシッド・コミュニズム』と題した本/マニフェストに取り組んでおり、そこで未来を取り戻すためのプログラムを提示するはずだった。そのプロジェクトで残されたのは長い序文で、フィッシャーはそこで60年代とカウンターカルチャーに立ち返り、サイケデリアの破壊的な潜在力を、LSDや超越的なトリップがもたらす線形的時間の消去を取り戻そうとしている。新自由主義の内側で死にかけながら生産的なふりをする日々から私たちを引き剥がしてくれるものとして。世界が可能性に満ちているように見えた転換点へ立ち返ること。スケッチにすぎないとはいえ、もっとも興味深いアイデアのひとつは、資本主義は豊かさを生み出すシステムであるどころか、それを阻むように設計されており、分かち合いや共同体主義を妨げる人工的な欠乏状態のなかで私たちを絶えず生きさせている、という指摘だ。未来を再建しようとしていたまさにそのときにフィッシャーが舞台を去ったのは、苦い皮肉というほかない。

資本主義は豊かさを生み出すシステムであるどころか、それを阻むように、私たちを絶えず人工的な欠乏状態のなかで生きさせるように設計されている。

その一方で、レイノルズの近作は、エレクトロニックとポストパンクの時代の外側にある自伝の文化的な空白を埋めることに躍起になっているように見える。まるで音楽批評版の『失われた時を求めて』を書いているかのように。たとえばグラム・シーンを解剖した『ショック・アンド・オー』は、彼の思春期前の形成期への回帰として読める。それはまた、イギリスがスパンコールとメイクの夢を見ることを自らに許し、雨がちな島の灰色から抜け出して幻想をかき立てた時代でもあった。そしてこれは、20世紀最大のイギリス人アーティストであり、常に違う何かであり続けるというポップ・ミュージックの力をもっともよく体現したボウイへの別れの挨拶でもある。分析的というより伝記的なスタイルをとったこの本は、理論的な寄り道よりもジャーナリズムを重んじる読者を想定しているようだ。ときにグラムの定義を引き延ばしすぎて、パンク以前の70年代ロック全体を包み込んでしまうきらいはあるものの、レイノルズの長期にわたる仕事のなかではパズルを完成させる一冊だ。その次に来たのが『フューチュロマニア』で、これは自分自身と議論し、『レトロマニア』のメランコリーと失望への解毒剤を差し出そうとする試みだった。とはいえ、この本の大半が既発表の記事で構成されているというのも、なんとも苦い皮肉である。

今年刊行された彼の最新作のタイトルはStill In A Dream: Shoegaze, Slackers and the Reinvention of Rock (1984-1994)。これは過去の自分と現在の要請の両方に、同時にけりをつけようとする試みのように見える。一方では、『ポストパンク・ジェネレーション』が終わったところからバトンを拾い上げているからであり、他方では、80年代のレイノルズはインディーの保守性とみなしたものに対してかなり批判的な立場をとっていたからだ。成熟した書き手が若き日の偏見に立ち返り、かつて後ろ向きだと感じていたもののなかに価値あるものを見いだす本なのである。だが同時に、これは近年の若者たちのシューゲイザーへの執着、麻酔のような音の層の下に沈み込みたいという欲望から生まれた本でもある。それはレイノルズの最初の著書のタイトルが示す感覚の世界を思い起こさせる。『Blissed Out』、つまり「至福の境地にある」といった意味で、アトモスフェリックな音楽に長く浸ることでしかたどり着けない状態のことだ。

「資本主義システムのピラミッド」。1911年、世界産業労働組合(Industrial Workers of the World)の機関紙Industrial Workerに掲載された。

この二人の理論家・批評家が示した診断の多くは、いまだ答えが出ていない。資本主義リアリズムに代わるものをどう築くのか? ポップカルチャーにおける同じものの永遠の反復から、どうやって抜け出すのか? どんな具体的な組織形態があれば、ふたたび政治的な実効性を取り戻せるのか? 政治と文化が手を携えて新しい世界を生み出すような状況を、どう再構築するのか? どれも差し迫った問いだが、左派の間でおおよそ合意された具体的な行動プログラムはまだない。私たちは幽霊と共存し、暗闇のなかで身振りをし、消えた者たちの足跡をたどっている。政治的・文化的な解放と啓示を求めて。フィッシャーとレイノルズに耳を傾けるなら、その二つはひとつの同じものなのだ。


[1] さらにこの時期、レイノルズは「ポストロック」という言葉を生み出した。Slint、Tortoise、Stereolab、Gastr del Solといった、ロックの楽器をジャズの即興に近い目的で用い、テクスチャーや空気感を重視するバンド群を形容するためである。

[2] K-Punk Volumen 2. Escritos reunidos inéditos (Música y política)(Caja Negra、2022年)所収。

[3] Fisher, K-Punk Volumen 2, p. 108.

[4] Fisher, K-Punk Volumen 2, p. 111.

[5] 今日ではもはや「プロレタリアート」ではなく「プレカリアート」と言われるほどだ。とりわけクリエイティブ職や、社会科学・人文学に関わる職業においてそうである。

[6] フィッシャー『わが人生の幽霊たち』pp. 43-44.

[7] レイノルズ『レトロマニア』p. 332.

[8] レイノルズ『レトロマニア』p. 333.

[9] 『わが人生の幽霊たち』274.

[10] Fisher, Exiting The Vampire’s Castle, https://web.archive.org/web/20131129003704/https://thenorthstar.info/?p=11299.

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